沿革

宝暦元年(1751年)

 

初代捧吉右衛門は金物屋を開業。以来代々金物商を営み「金物屋の吉右衛門」から屋号を(かなきち)と称す

明治44年 4月(1911年)

 

 第八代捧吉右衛門は、東京銀座の十一屋商店(じゅういちや)から洋食器の注文を受け、これが日本の金属洋食器の発祥となる
大正10年 ステンレス製洋食器の製造に着手
大正11年 平和記念東京博覧会 金牌受領
昭和7年 東南アジア諸国へ洋食器輸出販路拡充
昭和8年 捧松栄逝去
昭和11年 七代目 捧吉右衛門の逝去により八代目捧吉右衛門襲名(44歳)
昭和19年 1月 捧吉右衛門商店を燕物産株式会社と改組
昭和48年 7月 本社・工場落成
昭和49年 2月 東京支店ビル竣成
昭和49年 4月 総理府の御用命により赤坂迎賓館へ金属洋食器・器物を納品
昭和55年 第八代捧吉右衛門は米寿を機に会長に、捧百輔は社長に就任
昭和56年10月  皇太子殿下(今上陛下)、皇太子妃殿下(皇后陛下)の御行啓を賜る  
昭和59年 1月  第八代捧吉右衛門の逝去により、捧百輔は第九代捧吉右衛門を襲名  
平成元年10月 第九代捧吉右衛門は会長に、捧昭栄は社長に就任

平成5年 5月

 

Prime Minister Dato Seri Mahathir bin Mohamadマハティール・マレーシア首相御夫妻本社工場を御視察
平成8年 3月 外務省の迎賓館、飯倉公館に五七桐御紋付金属洋食器(ラクリマ)を納品
平成20年11月 捧昭栄は相談役に、捧和雄は社長に就任
平成23年 金属洋食器製造100周年を迎える
平成25年12月 100年企業「燕物産株式会社」展、燕市産業史料館にて開催
平成28年1月 第九代捧吉右衛門逝去