Tsubame Bussan Web Museum

燕物産WEB博物館

1. 新潟県燕市、金属洋食器の街は、こうして生まれた!

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2. 日本の産業に金属洋食器を誕生させた銀座十一屋商店!

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3. 100年変わらない日本最古のカトラリー「月桂樹」

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4. 燕で最初に作った金属洋食器は、玉栄堂 今井栄蔵氏による手作りでした→詳細

 


5. 百年企業シリーズ 燕物産株式会社展

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6. 金属洋食器の街を支えた彫金師達

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7. 『横須賀海軍』、『呉海軍』に納品された銀食器と『戦艦大和』

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8. 関のステンレスナイフの技術が、洋食器ナイフとポケットナイフに活かされました→詳細

 


9. 八代目捧吉右衛門を父に、玉栄堂 今井栄蔵氏を祖父に持つ捧和子さんに燕カトラリーの歴史についてお聞きしました

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Movie

平成25年(2013年)12月、燕産業史料館で開催された、100年企業「燕物産株式会社」展。

 

100年変わらないデザインの「月桂樹」。販売促進用にムービーを作成しました。

 


燕物産の歴史

最古の日本製カトラリー

日本で最初に製作された洋食器

 

燕物産㈱は、明治44年(1911年)4月、日本最初の金属洋食器を製造し、燕産地の先駆けとなりました。

 

現在、新潟県燕市の洋食器業界では、日本の金属洋食器の95パーセント以上を生産しています。

明治維新後、西洋料理の伝播とともに十一屋商店(じゅういちやしょうてん)は、ヨーロッパから西洋食器を輸入していましたが、ナイフ、フォーク、スプーンの国内製造を捧吉右ェ門商店(燕物産の前身)に依頼しました。

 

鎚起銅器の玉栄堂(ぎょくえいどう)で手造りし、第7代捧吉右ェ門、第8代捧吉右ェ門、捧栄松の三兄弟を中心に基盤を築いた。

燕産地の職人技術、鎚起(ついき)や「かた切り」が洋食器の金型、成形、研磨に活かされている。

 

写真説明 : 真鍮の材料を鎚起の技術を活かし、金鎚で敲き広げて成形した。表面の鎚目を炭で研ぎ、全て手作りで仕上げた。スプーンの皿やフォークの刃先は、現在の機械加工より美しい仕上がりである。

 

 

 

 


カトラリー2

洋食器からカトラリーへ

 

開国後、西洋の文化が日本に伝播し、衣食住が和と洋に分かれ、和服、和食、和室と洋服、洋食、洋室と呼び分けるようになりました。

食器も和食器と洋食器に区分けされ、洋食器は西洋料理の陶磁器を意味したためナイフ、フォーク、スプーンの金属食器を金属洋食器と呼ぶようになりました。

 

20年位前からデザイナーやコーディネーターがカトラリーと呼び始め、国内一般に使用されていますが、カトラリーは刃物を意味し、金属洋食器の総称ではありません。ナイフ、フォーク、スプーンが伝来し、100年が過ぎましたが、現在は一般的に「カトラリー」とよばれています。

 

燕物産は、代々伝えられ、愛され続ける「食器創り」に精進し、日本の食文化への貢献を目指します。

 

 

 

 


現在の製品

匙(さじ)

 

正倉院の御物に匙があります。ヨーロッパからシルクロードを経て、中国、韓国そして日本にも伝えられましたが、日本では箸だけが残り、匙は途絶えました。

 

明治の文明開化まで匙を使うことはありませんでした。

燕の職人達は、見慣れぬスプーン、フォークを「しゃじ(匙)」、「びびら」と身近な物に準えて呼び、今でも、「しゃじ」「しゃじ屋」と愛着の表現を続けています。

 

燕物産の経営理念、「匙(しゃじ)屋に徹す」とは、「しゃじ」を作ることに喜びを感じ、「しゃじ」を売ることに喜びを感じる。創業の精神を11代目の世代に伝え、次なる100年に「ものづくり」を繋げたい切なる思いです。