燕物産工場物語──渡辺 正則


 

1972年4月、高校卒業後に叔父に勧められたのが燕物産との出会いでした。あれから46年、もうすぐ定年を迎えます。約40年間営業職として九州、東京を担当しました。60歳からは、包装場と呼ばれている全国へ商品を発送する部署で日々商品を送り出しています。

 

 

包装場

 

渡辺 正則

 

(ワタナベ マサノリ)昭和29年1月16日生まれ。

昭和47年4月入社、勤続46年。

 

 

 

Q : この仕事を始めたきっかけは?

 

同業に務める叔父が、燕物産営業の頓所さんと知り合いで、いい会社だからと勧められたのがきっかけでした。

 

 

Q : この仕事を続けてきた理由?

 

社長や会社の雰囲気が良く、先輩や同僚にも恵まれました。

気がついたら65歳になっていました。

 



 

 

Q : 先輩から厳しく教えられたことは?

 

人をないがしろにしてはいけない。たとえ事務の女性であっても疎かにしてはいけない。商売上の約束は絶対に守る(納期、価格)。会社の代表として全てのことに対処する。

 

 

Q : 燕物産という会社はあなたにとってどんな会社ですか?

 

大学通信教育を4年間受けさせていただきました。年に1回夏季スクーリングを1ヶ月間受けなければいけませんでしたので、当時の上司から行ってこいと言われ卒業することができました。

 

娘の中学のPTA会長をすることになった時は、会社に相談すると了承していただき3年間努めました。

 

燕物産という会社は、社員のやりたいことに寛容な会社だと思います。

 

 


Q : カトラリー販売の楽しい思い出は?

 

ホテルのロゴをカトラリーに入れてホテルに納品に行ったときに、気に入ってもらったことや納品先のスタッフや問屋さんと仲良くなり一緒に飲食をしたことです。

 

 

Q : 印象に残っている思い出は?

 

1974年に総理府のご用命により赤坂迎賓館へ真鍮の銀メッキワインカップセットを問屋さん、東京支店長の吉田さんと納品に伺ったときにオープン前に館内を見学させていただいたこと。

 

20年前くらいでしょうか、外食チェーンのココスさんに約100店舗分のカトラリーを短納期で納品させていただいたことを覚えています。

 

入社当時8代目の運転手をしたことや、東京支店ができる前、御茶ノ水あたりに倉庫を借りていた狭い一室で9代目と一緒に寝起きをしていたことが思い出に残っています。

 

 

Q : これから続く後輩に伝えたいことは?

 

仕事に自信を持って、燕一、日本一、世界一を目指してほしいですね。