燕産業資料館には、海軍で使用されていた燕産業のカトラリーが展示されています。
「昭和10年9月、横須賀海軍軍需部、フォーク大小24個納入、捧吉右衛門」と書かれたフォーク用木箱や、呉海軍で使用されていた象牙のハンドルのカトラリーがあります。
2013年、「燕物産株式会社展」の準備中に、“合資会社十一屋商店の出荷案内及び計算書”に、鉛筆で描かれた海軍銀食器の図面が発見されました。フォーク大小とスプーンとバターナイフのデザイン画です。サイズは、尺ではなくミリと注釈が入り、材質については品質洋銀(現在の洋白名)と記載され、使用者の階級まで書かれた2枚の伝票でした。
「燕物産株式会社展」では、海軍用洋食器として計算書に書かれたデザイン画と象牙を使用した高価なナイフ、フォークを展示しました。
合資会社十一屋商店の計算書に書かれていたデザイン画。ここで注目したいのが、“合資会社十一屋商店”です。明治中期にランプ商として創業し、西洋洋食器全般を扱う日本一の商社になりました。大正12年には関東大震災で、倉庫を含めて社屋全て焼け、燕物産を含めた大口債権者の支援によって資本金百万円の株式会社十一屋商店として復活を遂げました。しかし、昭和4年に起きた世界大恐慌などのあおりをうけ昭和6年以降に幕を閉じました。
昭和8年頃に、木村彰三氏(二代目木村新太郎氏三男)が再び“合資会社十一屋商店”として復活しましたが、昭和15年以降統制経済の強化によって再び閉店に追いやられました。
このわずか数年間の合資会社十一屋商店の計算書が見つかったことも奇蹟ですが、そこに海軍銀食器のデザイン画が描かれていたことは、大変貴重な発見でした。
燕物産株式会社は、呉海軍に銀食器を納品した記録が残っています。実物は、燕市産業史料館に、海軍マークの桜と錨が刻印されたスプーンとフォークが展示されています。
呉市は、2016年5月に水深350mmの海底に眠る現在の戦艦「大和」のハイビジョン撮影を行いました。貴重な映像は現在の戦艦大和の姿を映し出しました。呉市海事歴史科学館 大和ミュージアムから、このスプーンが戦艦大和でも使われていたのではないかと、お問い合わせをいただき、復刻版を製造することになりました。
81年の時を超えて、再び呉海軍スプーンを製造できるのは、大変うれしいことです。弊社は、100年前に作られたカトラリー「月桂樹」を、当時のデザインのまま製造・販売を続けています。八代目 捧吉右衛門が作ったスプーンを再び作成できることは、当時の技術を再び検証することであり、それも2013年に奇跡的に見つかった図面のスプーンを復刻できることに喜びを感じています。
戦艦大和は、広島県呉市の呉海軍工廠にて極秘で製造されました。1945年(昭和20年)4月7日、第二次大戦中にアメリカ軍が上陸した沖縄へ向けて海上特攻隊として出撃し、鹿児島県坊ノ岬沖でアメリカ軍の機動部隊の猛攻撃を受けて撃沈しました。それから4ヵ月後の昭和20年8月15日、日本は終戦を迎えました。
呉市では、2016年5月に水深350mmの海底に眠る現在の戦艦「大和」のハイビジョン撮影を行いました。
貴重な映像は、7月23日より呉市海事歴史科学館 大和ミュージアムにて公開されています。
呉市海事歴史科学館 大和ミュージアムホームページ http://yamato-museum.com