燕物産web Museumカトラリーの歴史3

100年変わらない日本最古のカトラリー「月桂樹」

 

大正初期に初めて日本製カトラリーとして発売され、100年経った現在でも販売を続けているベストセラー商品TBCL®「月桂樹」は、いつどのようにして生まれたのか?  燕物産株式会社(当時捧吉右衛門商店)、(以下燕物産)は、「100年企業 燕物産株式会社展」(2013年開催)以来、その正確な年代をひもとくために膨大な資料や当時を知る方のご協力で調査を開始しました。

 


月桂樹の誕生

 

明治5年に三条実美や岩倉具視の援助により、東京府築地に「西洋館ホテル」が創業しました。欧米最上等のホテルに匹敵するものとして、世界各国に紹介されましたと、秋山徳蔵氏の著書「舌」(中央文庫)に記載されています。

明治5年2月26日の「和田倉焼け」※1という大火で類焼して再建されませんでしたが、翌明治6年に「精養軒ホテル」として再建、明治9年には、レストラン支店として上野精養軒を不忍池に開業、大正7年に株式会社精養軒を設立しました。

大正12年築地本店が関東大震災による消失に伴い、上野精養軒さんが本店機能を果たすようになりました。築地本店は、天皇の料理番で有名な「秋山徳蔵」氏が修行したことで知られています。

 

明治維新後に開業し、現代社会に西洋料理を広め、今も変わらない老舗の味を守り続けている精養軒さんが、「月桂樹」の原型を発注されたと考えられていますが、発注にいたるには、理由があったのではと考え精養軒さんの沿革を調べてみました。大正7年に改組、大正9年に結婚式場を開設しています。

燕で金属金型の製作や動力での生産が始まったのが大正7年でした。「月桂樹」をすぐに生産できたとは考えにくいので、大正9年の結婚式場の開設時に合わせて「月桂樹」を十一屋商店さんに発注したのではと想像しています。

手作りのカトラリーから動力を使って金属金型が始まった初期製品は、日本の西洋料理発祥とする精養軒さんのカトラリーから作ったのではないかと想像しています。上野精養軒さんでは、現在もTBCL®「月桂樹」をご愛用いただいております。

 

 

 

※1 1872年(明治5年)2月、和田倉門付近から出火し、銀座、築地一帯の約95ヘクタールを焼く大火が起こった。鉄道の起点で、東京の表玄関である新橋に近いこともあり、政府は西洋流の不燃都市の建設を目指した。同年3月には東京府により、焼失地域は道路をとりひろげ、煉瓦家屋で再建するので、新築を差し控えるよう布告が出された。東京府は3月22日に、地券を発行して全焼失地域を買収し、区画整理を行った後、旧地主に旧値段で払い下げるという布告を出し、地券を発行したが、土地評価の問題のため、買収は順調には進行しなかった。

(出典:ウキペディア/https://ja.wikipedia.org/wiki/銀座煉瓦街)

 

 

「月桂樹」がドラマで使用されました

 

2015年にTBS系列で放送されたドラマ日曜劇場 『天皇の料理番』で「月桂樹」が使用されました。

何をやっても長続きしなかったやっかい者が一口食べたカツレツがきっかけに、料理に夢を見つけ、ついには天皇の料理番を勤め上げるまでに成長していく、明治から昭和の激動の時代を生きた主人公・秋山徳蔵氏の人間ドラマです。

 

このドラマに登場する華族会館や鹿鳴館時代の華やかな文明開化を象徴するカトラリーとしてドラマでご使用いただいたのが、燕物産のTBCL®「Laurel月桂樹」です。ドラマ終了後も、弊社ホームページを多くの方にご覧いただいています。

 

 

テーブルセッティング
月桂樹のテーブルセッティング例。
月桂樹カトラリー
お菓子の最中のような中空の形状のため「最中柄」と呼ぶようになりました。内に入れる重りを「あんこ」と言っています。

月桂樹の特徴

 

燕物産に残る、大正初期に製作された「月桂樹」は、当時としては大変高価な金属、洋白(ニッケルシルバー)※2が使用されています。フランスロココ調デザインをベースに月桂樹と稲穂をモチーフにしたデザインの型押しがされ、スプーン・フォークの裏にも型押しがあります。フランス式テーブルセッティングではスプーン・フォークを食卓に裏返して置きます。16世紀のフランス王侯貴族は、お客様に裏側に刻印された家紋を見せて代々受け継いでいる高級食器の使用を誇示していたのが起源のようです。

 

ナイフの鎬
国内で唯一「月桂樹」は「鎬」(しのぎ)仕上げ。

ナイフの柄は最中柄※3で、刀には国内で唯一「鎬」(しのぎ)と「目通し」の表面仕上げがされています。ナイフの形から「月桂樹」はフランスのデザインがベースになっています。ヨーロッパ製のナイフには鎬(しのぎ)が入っていましたので、そのなごりで現在も入っています。「鎬」(しのぎ)は、日本刀にもあり、刀の刃と一番上の部分の棟(とう)の間にある刀身を貫いて横に走る、少しえぐれたような稜線のことを「鎬」(しのぎ)と言います。刀では強度を持たせるために入れていたのではと言われています。

激しく競うことを「鎬を削る」と表現しますが、この「鎬」は日本刀の鎬を指し、相手の振り下ろした刀を受け流すにはこの鎬の部分で相手の刀を受けます。相手の刀を受け流した時に鎬が削られるほどに激しい攻撃を受けているといった意味合いから生まれたことわざです。

 

ナイフの目通し
国内で唯一「月桂樹」のナイフの表面は、「目通し」仕上げ。

「目通し」表面仕上げとは、ナイフの表面を一度キレイに仕上げ、表面にヘアラインのような一定間隔で表面に筋模様を入れていきます。目通しすることで、表面につきやすい傷を目立ちにくくする効果があります。作業としては1工程増えるのですが、ヨーロッパの伝統を今に伝える大切な技術です。「鎬」も「目通し」も、熟練の職人が一本一本手仕事で仕上げます。

 

 

※2 銅と亜鉛、ニッケルから構成される合金で銀の代用として世界的に使用されている金属。美麗な銀白色の光沢と優れた強度・弾性を有し、耐食性、加工性にも富んでいます。

※3 ナイフは、ホテルなど高級なレストランで使われているもののほとんどは持ち手が太いタイプです。太い持ち手の場合重くなってバランスが悪くならないように「持ち手の中を空洞にする」ことによって、刃先とのバランス・そして総重量が調整されているナイフの柄を「最中柄」といいます。

 

 

 

月桂樹資料

大正時代のカトラリー
大正時代に製造されたTBCL®「Laurel 月桂樹」。
燕物産の海外用デザイン見本。 Tsubame Bussan Co.,Ltdと欧文で表記されているので、昭和19年に改組以降の輸出用デザイン見本と思われます。燕物産のデザインパターンNo.1が月桂樹です。
燕物産の海外用デザイン見本。 Tsubame Bussan Co.,Ltdと欧文で表記されているので、昭和19年に改組以降の輸出用デザイン見本と思われます。燕物産のデザインパターンNo.1が月桂樹です。

【関連情報】

公益財団法人 燕三条地場産業振興センター内レストラン「Bit燕三条本店」にて「月桂樹」を使ってお食事が楽しめます。

■詳しくは 燕三条の魅力を発信するレストランBit燕三条本店で人気カトラリーを楽しむ

 

 

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