平成25年(2013年)12月、燕産業史料館で開催された、100年企業「燕物産株式会社」展。
100年変わらないデザインの「月桂樹」。販売促進用にムービーを作成しました。
燕物産㈱は、明治44年(1911年)4月、日本最初の金属洋食器を製造し、燕産地の先駆けとなりました。
現在、新潟県燕市の洋食器業界では、日本の金属洋食器の95パーセント以上を生産しています。
明治維新後、西洋料理の伝播とともに十一屋商店(じゅういちやしょうてん)は、ヨーロッパから西洋食器を輸入していましたが、ナイフ、フォーク、スプーンの国内製造を捧吉右ェ門商店(燕物産の前身)に依頼しました。
鎚起銅器の玉栄堂(ぎょくえいどう)で手造りし、第7代捧吉右ェ門、第8代捧吉右ェ門、捧栄松の三兄弟を中心に基盤を築いた。
燕産地の職人技術、鎚起(ついき)や「かた切り」が洋食器の金型、成形、研磨に活かされている。
写真説明 : 真鍮の材料を鎚起の技術を活かし、金鎚で敲き広げて成形した。表面の鎚目を炭で研ぎ、全て手作りで仕上げた。スプーンの皿やフォークの刃先は、現在の機械加工より美しい仕上がりである。
開国後、西洋の文化が日本に伝播し、衣食住が和と洋に分かれ、和服、和食、和室と洋服、洋食、洋室と呼び分けるようになりました。
食器も和食器と洋食器に区分けされ、洋食器は西洋料理の陶磁器を意味したためナイフ、フォーク、スプーンの金属食器を金属洋食器と呼ぶようになりました。
20年位前からデザイナーやコーディネーターがカトラリーと呼び始め、国内一般に使用されていますが、カトラリーは刃物を意味し、金属洋食器の総称ではありません。ナイフ、フォーク、スプーンが伝来し、100年が過ぎましたが、現在は一般的に「カトラリー」とよばれています。
燕物産は、代々伝えられ、愛され続ける「食器創り」に精進し、日本の食文化への貢献を目指します。
正倉院の御物に匙があります。ヨーロッパからシルクロードを経て、中国、韓国そして日本にも伝えられましたが、日本では箸だけが残り、匙は途絶えました。
明治の文明開化まで匙を使うことはありませんでした。
燕の職人達は、見慣れぬスプーン、フォークを「しゃじ(匙)」、「びびら」と身近な物に準えて呼び、今でも、「しゃじ」「しゃじ屋」と愛着の表現を続けています。
燕物産の経営理念、「匙(しゃじ)屋に徹す」とは、「しゃじ」を作ることに喜びを感じ、「しゃじ」を売ることに喜びを感じる。創業の精神を11代目の世代に伝え、次なる100年に「ものづくり」を繋げたい切なる思いです。